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自己言及器官

プログラマーワナビー

嘘つきアーニャの真っ赤な真実/米原万里

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)


幼少期にソ連に住んでいた著者が、昔の友達を訪ねにいろいろな国を探して回るという内容。 最初小説かと思って読んだのだが、そうではなく三編の回想録とその友達を30年以上たってから探し訪ねて回るという内容になっている。

どの話も非常に面白いのだが特に印象に残るのは表題作の"嘘つきアーニャの真っ赤な真実"という第二編、
貧乏な共産圏の国に住みながらも権力者の家族として裕福な生活を送るアーニャに再会しての、友人として接しつつ隠し切れない複雑な思いがよく書けていたと思う。

いつ再会したアーニャと口論が始まってしまうのではないかとハラハラしながら読んでいたが、そこは小説のように喧嘩別れをしたりはしなかったのがリアルな人間関係である。
ただひとつ現実味を感じずに読めなかった点がある、それは著者が日本に帰国してかつての友人との連絡手段にとぼしくなってしまう点である。現在では国境の壁を超えて TwitterFacebookがあり、あらかじめアカウントを教え合っていれば、特に手紙の交換などをしなくても元気なんだなとか○○大学に入学したのかといったことを容易に知ることができる。

当時はTwitterどころかインターネットすらなく、手紙の交流が途絶えてしまえば近況を知る手段は無いと頭ではわかっていても、 こういったことにリアリティ(そもそも現実にあった話なのだが)を感じられないのだ。人はどうしても時代に縛られてしまう、この本の登場人物が時代や政治情勢に翻弄されたように。

だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない (Kindle版 ページNo.2189より)

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